陶芸徒然帳〜雑記2009年3月窯場風景 6-2009/03/27 冬の色が残る まだまだ寒い頃地面から 小さな芽を出した 貝母百合(ばいもゆり)が 今はかわいい花を つけています。 ひょろっと細長く 30cmほどに伸びる その茎はかぼそく、華奢です。 細長い茎の先は 他の植物の枝に巻きつき いかにも寄り添って ささえてもらっているように見えます。 花の色も目立つことなく、 うつむくように花を付けます。 あまり自己主張をすることの無い 控え目な美しさが この花の最も愛すべきところでしょう。 床の間の花入れに入れられると、 他の春の花を引き立てる とても可憐な花です。 黒茶盌の焼成 20-2009/03/23 瓦を焼いていた頃の窯とは 全く異なった、 炭を用いて茶盌を 一個づつ焼くという方法は、 焼き物の窯より 日本刀を打つ刀鍛冶のものに 近いような気がします。 燃えさかる炭に ふいごで風を送り、 鉄を鍛えていく行程です。 数個つくっては焼くということを 繰り返すことの出来る規模の 小さな窯が、 都合が良かったと思われます。 作品をつくりためて 数ヶ月に一回 火を入れるような大きな窯では、 利休の要求に応えることが とても不可能だったでしょう。 瓦職人が刀鍛冶の技術を 参考に出来るほどの交流が あったかどうかについてですが、 鍛冶屋仕事の中には、 大工道具や瓦釘を打つ職人もいますから、 想像以上に密接なものがあったと 私は考えています。 黒茶盌の焼成 19-2009/03/20 このようにして 利休の指導によって 楽茶盌が出来るのですが、 はじめは赤茶盌が 焼かれたものと思われます。 茶会記や利休が弟子に与えた手紙などに 最初に出てくるのは赤茶盌です。 これがさらに 黒茶盌を求めることになるのですが、 長次郎としては 黒い茶碗を作るための 釉薬、窯の研究には 相当苦労したと思われます。 経験の無いことを することに加えて 利休の卓越した審美眼に 叶うものでなければなりません。 そんなプレシャーの中での 制作においては常に 実験の繰り返しが あったのではないかと 思われます。 黒茶盌の焼成 18-2009/03/17 余談になりますが、 楽家代々を私は 「夏の磯砂、千鳥丈越せ。」 と覚えました。 つまり、 ナ 初代 長次郎(「長い」の読みより) ツ 二代 常慶(「常」の読みより) ノ 三代 のんこう イ 四代 一入 ソ 五代 宗入 サ 六代 左入 チ 七代 長入 ド 八代 得入 リ 九代 了入 タ 十代 旦入 ケ 十一代 慶入 コ 十二代 弘入 セ 十三代 惺入 そして十四代覚入、 十五代当代へと続きます。 窯場風景 5-2009/03/14 徐々に暖かくなってくる頃、冬野菜の多くに トウが立ちはじめます。 菜の花は、スーパーや八百屋で 季節のものとして買うことが出来ますが、 その他のアブラナ科の野菜も トウの部分は非常に美味しいものです。 水菜、シロ菜、青梗菜などです。 写真は去年の9月に種をまいた 雪菜のものです。 煮物にした菜っ葉の中に混じる 甘いトウの食感は,非常に良いものです。 和え物や温サラダなど、 この時期の楽しみでもあります。 寒い間エネルギーをしっかり貯えて、 次世代へのバトンタッチを行う為の パワーの塊のように思います。 美味しいのは当たり前かもしれません。 黒茶盌の焼成 17-2009/03/09 その為、「長次郎作」の茶盌には 作風がいくつかあるといわれていますが、 私はその説には納得しかねるものがあります。 長次郎茶盌は、 すなわち利休茶盌とも言うべき 利休の好みがそのまま 反映されているのですから、 職人の作風が優先することは 無いと考えます。 いくつかの作風があるように感じられるのは その時々の利休の指示通りに 長次郎工房の人間は 茶盌を作ったと思います。 それほど完璧な工房だったのです。 窯場風景 4-2009/03/04 ふきのとうが膨らんできました。 大きいものはゴルフボール位あります。 もっと寒い頃から顔を出しているのですが 、その頃は「小さくても頑張っている。」 という感じです。 今はしっかりと「ふきのとう」であることを 主張しているように感じます。 |
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