陶芸徒然帳〜雑記2009年1月黒茶盌の焼成 13-2009/01/30 楽茶盌の場合、 この赤い釉薬を朱釉と呼んでいますが、 一般的に酸化第一銅による赤色の釉薬を 辰砂(しんしゃ)と呼びます。 この「辰砂」という言葉は 本来水銀と硫黄の化合物を指しますので、 朱と同じ意味を持ちます。 朱の場合は人工的に作ったものも含みますが、 辰砂は天然に産する赤い鉱石を指します。 銅を含む赤い釉薬を辰砂と呼ぶのは 少し混同を招くややこしい表現ですが、 「辰砂色の釉薬」というような意味で 用いたのでしょう。 中国陶磁にはこの辰砂を用いたものが 多く作られています。 含まれる銅の量や、焼成具合、 あるいは釉薬の厚みなどによって、 さまざまな赤色を呈し 「牛血紅」「鶏血紅」「桃花紅」 「猪肝」「羊肝」「牛肝」などと 呼び分けています。 それほど深い興味を持って 見られていたのでしょう。 私には牛の血と鶏の血, あるいは猪の肝と羊の肝の差は ちょっと見分けることは出来ません。 黒茶盌の焼成 12-2009/01/26 美しい朱釉になる為には、 その焼成方法と共に 釉薬のかけ方が大きく影響します。 私の場合、黒の釉薬をかけた上に 銅を含む透明釉をかけ、 さらにもう一度透明釉をかけます。 この透明釉は濃い目に解き(マヨネーズのような感じ) 筆でかすれるようにかけます。 こうすることによって 透明釉に含まれる銅の濃度が場所によって さまざまになることをねらいます。 一番下の黒の釉薬は、 溶けるときに泡が立ちますので、 赤く発色する釉薬が 沸き立つような感じになり、 朱釉独特の風合いになります。 釉薬の厚み、焼成方法、 窯から出すタイミングなど、 色々な条件が重なり合うので、 必ずしも良い結果のみが得られる訳ではありません。 云うまでも無いことですが。 黒茶盌の焼成 11-2009/01/23 窯の中にあるときの茶盌は、 火と同じ色に赤熱しているので、 銅がどのような発色をしているか 見ることが出来ません。 窯から出して冷めていくうちに だんだんと色が現れ、 やがて本当の色を呈してきます。 還元が充分出来なかった時、 銅は酸化第二銅になるのですが、 朱釉にはならず黒くなります。 銅を多くすると きれいな赤色になると思いがちですが、 多すぎると赤黒く濁った色になります。 私の場合、この性質を利用して、 鮮やかな赤から鈍い赤、 さらには黒ずんだ赤まで、 巾広い赤が茶盌の器面に出ることをねらっています。 黒茶盌の焼成 10-2009/01/17 黒茶盌の技法のひとつとして 朱釉(しゅぐすり)と呼ばれるものがあります。 名前の通り黒い釉薬の中に 赤い釉薬が浮かび上がるように、 あるいは流れるように発色するものです。 名前は朱ですが、 この赤色は硫化水銀ではなく 銅によって発色するものです。 銅は高温の中では 酸素との結合が不安定であり、 酸化第一銅になったり、 酸化第二銅になったりします。 窯の中が酸欠状態になると、 酸化第一銅になり,赤色を呈します。 酸素は出来るだけ不足している方が 美しい赤色になります。 その為、窯の中の隅を 鉄棒でつついてスペースをつくり、 新しい炭を上に足します。 炭がしっかりとつまった状態で より多くの酸素を消費し、 窯の中は極度の酸欠状態になります。 その状態で酸化第一銅が釉薬に溶け込むと、 銅の分子は酸素に触れることが無くなり、 朱釉として安定します。 丑の年のはじめに 3-2009/01/12 (6)騎牛帰家 童子は牛の背に乗り、手綱も持たず、 笛を吹きながら家へと帰る様子が 描かれています。 すでに修行を終え、完成後の心境を意味します。 (7)忘牛存人 童子が家の前で独り ゆっくりと居眠りをしている姿が 描かれています。 「悟り」という牛を求めて 山中をさまようこと自体誤りではなかったのか。 自分の外に悟りを探すのではなく、 本来自分の心の中に 牛があることに気づいたことを意味します。 (8)人牛倶忘 童子も牛も何も描かれておらず、 ただ円い輪すなわち円相のみが描かれています。 十牛のうちで最も重要であり、 同時に最も難しい項です。 悟りを開いたと思った自分自身もまた 忘れてしまえという意味で、 後に残るのは無のみです。 「無のみが存在する。」 凡人には非常に難解な話です。 (9)返本還源 花が咲き、水が流れる自然の現象、 そのままが描かれています。 自然は牛を求めて山に入った時と 少しも変わるものはない。 目の前にある世界こそが すべてを教えてくれています。 (10)入鄽垂手 布袋和尚が大きな腹を突き出しながら 笑顔をたたえて、 子どもたちと戯れている様子が 描かれています。 禅宗も仏教の一宗派ですから 大衆を救済することの重要性を示しています。 私のような何の修行も積んでいない人間が、 「悟り」とか「無」などという言葉を つかうこと自体おこがましい事なのですが、 牛に関連して書いてみました。 いろんなスポーツに「How to」本がありますが、 それを読んだからといって、 技が身につくわけではありません。 しかし、大変重要なことを示唆していたり、 実践した人の体験談であったりします。 俗っぽい言い方ですが、十牛図頌も、 ひとつの「How to」本なのかもしれません。 の十種です。 丑の年のはじめに 2-2009/01/09 (1)尋牛 童子が牛を捉まえた時に用いる綱と 鞭を持って山中をさまよい歩く姿が 描かれています。 いかにすれば「悟り」という牛を 捉まえることが出来るか 四方を探し歩く姿です。 (2)見跡 童子が山の中で道の上に 牛の足跡を見つけた様が描かれています。 あてもなくさまよっていましたが、 牛を得るべき方向を見つけます。 (3)見牛 童子が大きな岩角に牛の尻や尾を 見つける姿が描かれています。 ついに牛の姿を見ることが出来るのですが、 一つの確信を得たことを意味します。 (4)得牛 童子がついに牛を捉まえるのですが、 牛は童子の意のままにはならず、 縄を必死で引く姿が描かれています。 悟道を得ることは出来たが、 まだまだその途上であることを示しています。 (5)牧牛 童子が綱を引くと 牛がおとなしくついてくる様子が 描かれています。 すでに牛は童子の意のままに随い 悟道が完成の域に達していることを意味します。 丑の年のはじめに-2009/01/06 牛を禅の悟りの象徴とした非常に興味深いたとえ話があります。 それは「十牛図頌」と呼ばれ、 今から800年ほど前に中国の廓庵師遠という人がつくりました。 十個の円い画面の中に「悟り」という牛を 童子が捉えていく段階を 解りやすく、絵と頌で書かれています。 「頌」とは、詩のように韻文で書かれているのですが、 詩とは異なって宗教的内容を盛り込んだものを指します。 その十牛とは (1)尋牛 (2)見跡 (3)見牛 (4)得牛 (5)牧牛 (6)騎牛帰家 (7)忘牛存人 (8)人牛倶忘 (9)返本還源 (10)入鄽垂手 の十種です。 あけましておめでとうございます-2009/01/01 あけましておめでとうございます。 丑年を迎えました。 ずいぶん以前のことですが私の作った粉引茶盌に 禅宗の老師が「白牛」という銘を付けて下さいました。 老師曰く「禅において白い牛は悟りを象徴するものだ」 ということでした。 その粉引茶盌はあるお茶の先生に求められ、 以来毎年一年の終わりの稽古納めの時に使っていただいています。 自分の作品がそのような節目に使われているということは とてもうれしいことです。 |
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