陶芸徒然帳〜雑記2010年3月茶盌の事 2-2010/03/30 大黒(黒茶盌) 形が大振りで、色が黒々としていることから この茶碗が持つ印象そのままに名づけられたと いわれています。 利休愛玩後、息子の小庵から孫の宗旦へと伝わり、 宗旦は長次郎作「小黒」と一対にして愛玩しました。 鉢開(黒茶盌) 利休はある時戯れに 自分が出家したらこの茶碗を持って托鉢に歩く と言ったといわれています。 この茶碗の形が、胴で締まって 上部でやや開いている形状とあわせて 「鉢開」と呼ばれたと言われています。 東陽坊(黒茶盌) 洛東真如堂に東陽坊という托鉢僧が居て、 釜一個とこの茶盌一個で爐の火を絶やすことなく 生涯をすごしたといわれています。 そしてこの僧の名そのものが茶盌の銘となりました。 茶盌の事-2010/03/24 現在、 長次郎作として伝世している茶盌は数多くあり、 美術館あるいは収集家のもとで 大切に保存されています。 そんな中で、 利休七種、あるいは長次郎七種と呼ばれて 別格の扱いをされているものがあります。 これらは利休が直接銘をつけ、 茶会記などにその使用が明記されているものの中から 七盌が選ばれたものです。 この七盌は利休が自ら選出したとも、 利休所持とされているものの中から 後人が選出したとも言われています。 その七盌の銘の由来は それぞれ非常に興味深いものがあります。 以前述べた「木守り」がその一つですが、 それぞれを述べてみたいと思います。 赤茶盌の焼成 14-2010/03/11 極端に煙や炎が強くあたった茶盌は 全体が黒くなり、 赤色を呈する部分が ほとんどなくなってしまう場合もあります。 このような例は 古い楽茶盌の中にもあるのですが、 箱書きにはちゃんと「赤茶盌」と書かれています。 昔の茶人は、茶盌の見た目だけでなく、 その技法までちゃんと観察していて、 「黒く窯変した赤茶盌」という内容まで 把握していたと思います。 先に「黒茶盌の焼成10」項で述べてた 朱薬黒茶盌は 、銅を含有する釉薬によって 赤色を呈していても そのベースは黒茶盌であるということを 茶人はちゃんと見ていました。 茶人の眼力の深さにあらためて敬服します。 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
戻る |