陶芸徒然帳〜雑記

2008年11月

黒茶盌の焼成 5-2008/11/30
茶盌を黒く焼き上げる為にはもうひとつ必要なことがあります。
それは窯から引き出し急令させることです。
黒茶盌の釉薬にはその黒色を呈する為の多くの鉄分を含みます。
ガラス質の中に鉄分が溶け込んでいるのですが、
窯の中で除冷すると冷めるにしたがって、鉄分が過飽和状態になり、
鉄分が表面に浮いてきます。

これは柿釉と同じ状態で
(柿釉:昔、梅干壺や塩壺によく用いられた。)
茶色い光沢のあるものになってしまいます。
飽和状態の砂糖湯が冷めると砂糖の結晶が底に残るのと同じです。

黒茶盌の焼成 4(炭の話2)-2008/11/27
私は黒茶盌を焼く時に黒川で生産された菊炭を使っています。
爆ぜない、火の回りが良い、という特性が私の求める条件に合うからです。

窯の中の炭が減ると新しい炭を足すのですが、
炭が爆ぜるとその粉が茶盌の中に入ったり表面に付着し炭の跡がついてしまいます。

又、孔を多く含む菊炭はブロアーの風によって急激に温度が上り、
その際多量の酸素を必要として窯の中は極端な還元状態となります。
そんな中で溶けた釉薬が黒く焼きあがるのです。

長次郎作赤茶盌「木守」 3-2008/11/23
利休七種の中にも数えられる名盌「木守」はその姿を「大正名器鑑」に見ることが出来ます。
「大正名器鑑」は高橋掃庵(たかはしそうあん)編集による茶入、茶碗の図録です。
大正10年(1921年)から昭和元年(1926年)に刊行され、茶入五編、茶碗4編からなるものです。

楽茶盌も多く掲載されていますが、
当時の印刷技術はまだまだ未熟ですべて白黒です。
そんななかで、「木守」のみが木版色刷りとなっています。

非常に残念なことですが、
この名盌「木守」は大正12年の関東大震災で焼け壊れてしまいました。
大正名器鑑が刊行された時にはこの「木守」はこの世に現存しなかったことになります。
ただ、焼け跡の灰の中から見つけられた一片を嵌め込んで楽家十三代惺入がその姿を写し、松平家へ納めました。

長次郎作赤茶盌「木守」 2-2008/11/21
その後この茶盌は孫の宗旦から長子の一翁宗守(武者小路千家一世)へ伝わり、
眞伯宗守(武者小路千家三世)の代になって主家筋にあたる四国高松城主松平家へ献上され、
代々の宝物として伝わりました。
そしてこの茶盌を使う茶会には必ず玄関に幕を引いて客を迎えるのが掟となったそうです。
また京都の千家の家督相続の披露の茶会にはこの茶盌を使うことになっていたのですが、
江戸の高松候の邸から京都まで「木守」を駕籠に乗せ槍持ちがついて家臣の護衛で往復したといわれています。

個展を終えて-2008/11/19
一週間の個展を11月18日に終えました。

毎日会場に詰めているのは普段の生活リズムと異なるもので、結構疲労が蓄積します。
会期中は応援してくださる方やなつかしい方たちとお会いすることが出来、
また一緒に剣道に励んでいる子ども達も来てくれました。
それに新しい出会いも沢山あり充実した一週間でした。
本当に有難うございました。御礼申し上げます。

個展は制作においてやはり節目となるものであり、終えるとホッとします。
長い間粘土も畑の土も触っていないので、土が恋しくなってきます。

長次郎作赤茶盌「木守」-2008/11/16
長次郎作赤茶盌に「木守」という銘のものがあります。
利休はある時弟子たちの前にいくつかの茶盌を並べ、
それぞれに好みの茶盌を撰び取らせたら、1つの赤茶盌が残りました。
利休が見るとその茶盌はいかにも良い出来であり、
柿の木の頂に残る見事な柿の実になぞらえて「木守」と銘を付けました。

私はこの逸話にはもう少し裏があるかもしれないと思っています。
これほどの名盌をだれも撰り取らなかったのは不思議です。
利休があらかじめ最も出来の良い一盌を取りおいていたのかもしれません。
後に利休が催した茶会に度々この茶盌が使われている事が記録にも残っています。
それほど利休が愛した一盌だったのです。

個展初日-2008/11/13
いよいよ個展が始まりました。
会場に居るといつも感じることなのですが、
「仕事場で力仕事しているほうがらくだなぁ。」と。

仕事場で吸う空気と百貨店の中の空気は全然違います。
極端な言い方をすればだんだん酸欠のように頭がボーッとしてきます。
都心で毎日仕事をしている方たちには申し訳ありませんが、
いつも仕事場でいい空気吸わせてもらってるんだなぁ、
ものすごく贅沢なことをさせて貰っているんだなぁ、と感じます。

個展直前-2008/11/10
個展まであと僅かとなってきました。
今回は大阪難波高島屋6階アートサロンで
平成20年11月12日より11月18日まで開催させていただきます。

個展が近づくにつれ「もう準備は整いましたか?」と訊かれるのですが、
私自身としては作品搬入の直前までは準備中です。
搬入の日の朝窯出しした作品が最も気に入った作品ということもあります。
これまでもっとも極端な例は、
個展初日の朝窯出しした作品のできが良く会場に並べたこともあります。
可能な限り製作は続きます。

木守(きまもり)-2008/11/08
今年は柿の豊作年で窯場の周りにはたくさんの柿が実っています。
収穫のとき、すべての柿を取ってしまうのではなく
木の頂あたりの立派な実を一つ残しておきます。

収穫への感謝、来年の豊作を願う気持ち、
人間が独り占めするのではなく鳥にも残しておくことによる自然との共存、
いろんな気持ちがその一つの実に込められています。
その実を木守と呼びます。

黒茶盌の焼成 3(炭の話1)-2008/11/07
ギャラリーにまた3点追加しました。すべて香合です。

私の窯場のある黒川という地域では、
茶道に用いる菊炭を生産しています。
非常に良質な炭であり、
切り口の模様が菊の花のように美しいことから、その名があります。

クヌギを原料としているこの炭は、炉内で爆ぜることが無く火の回りが良い、
又樹皮がしっかりと密着していて剥がれない、など他の炭より非常に優れた点が多く、
古くから池田の菊炭として全国の茶人に知られてきました。
池田というのは現在の大阪府池田市の事で、
北摂一帯で生産された炭が池田の問屋に集まり、全国に販売されたからです。

里芋の収穫-2008/11/05
作品ギャラリーに19点追加しました。

家庭菜園で里芋の収穫をしました。
石川早生という品種です。
4月中旬に植えた種芋の上に親芋が出来、
そこから小芋、さらに孫芋が育ちます。

孫芋がいちばん軟らかく、ホックリと美味しいです。
種芋を植えて約半年で10倍を超す量の芋を収穫できるということは凄い事だと思います。

今が旬の黒豆枝豆は、1粒の豆が何十倍にもなるし、お米なんかもっと凄い。
大地の力、太陽のエネルギー、雨の恵みそれに人間の労力と愛情の結晶です。

西王母<せいおうぼ>-2008/11/02
窯場では早咲きの椿が咲いています。
西王母と呼ばれる品種ですが、
他の椿のつぼみがまだ固い10月中旬頃には咲き始めます。

中国漢の武帝が不老長寿を願っていたところ、
西王母という仙女が現れ、
その妙薬として7つの桃を帝に与えたと云われています。
この椿の美しい桃色が西王母と結びつき、
そう名づけられたものです。

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