陶芸徒然帳〜雑記

2008年10月

黒茶盌の焼成 2-2008/10/28
一個目の茶盌を取り出した後、
炭が減っていれば炭を足し、
二個目三個目と連続して焼きます。

炭によって発生する炭酸ガスを吸いますので、
あまりたくさんの数を焼くとしんどくなります。
20個くらいが限界でしょうか。
その中に気に入ったものが何個あるかは焼いてみなければ分かりません。

私は朝、窯に火を入れて昼間焼きます。
窯の火の色は夜のほうが見やすいのですが、
焼き上がりの微妙な感じは昼の光で見ないと見落としてしまうからです。

短時間で焼き上げるものですから焼きむらが出来ることもあります。
口辺は焼けているけど、
高台脇辺りが焼き足らないというケースです。

「今焼いた茶盌は少し焼きすぎたので、次は少し早い目に出そう。」
といったような判断も昼の光で見ないと間違えてしまいます。

黒茶盌の焼成-2008/10/22
「YUMEKAZU WORLD」へ相互でリンクを貼らせて頂きました。
是非リンクページの方ご覧下さい。

黒茶盌は、炭を用いた窯で一点づつ焼きます。
焼き物というと大きな登り窯で三昼夜、四昼夜焼き続けるというイメージが強いと思いますが、ほぼドラム缶程の大きさの小さな窯を用います。
まず、素焼きをして釉薬を掛けておいた茶碗を、十分熱した窯の中に
柄の長いはさみでつまんで入れます。
炭の窯なので、ふいご(今は電動ブロワー)で風を送って一気に温度を上げ釉薬を溶かします。その時間は窯の構造や大きさによっても変わりますが、私の場合は5分から10分の間です。
短時間で焼き上げるということが、釉薬の肌に大きく影響します。
黒茶盌の釉薬には「加茂川石」と呼ばれる石を用いるのですが、この石が窯の中で、溶けるとき泡を生じます。この泡の跡が残った状態が「ゆず肌」と呼ばれる柚の皮のような肌なのです。
時間を掛けてゆっくり溶けると少しづつ泡が立ち、時間が経つにつれ表面張力で泡の後がなくなってしまい、つるつるの肌になってしまいます。
釉薬が溶けて、流れすぎてしまわないタイミングを狙い、再び柄の長いはさみでつまんで窯から出します。
10秒の差でずい分違った肌のものになります。当然はさみの跡がつきますが、釉薬の厚み挟んだ場所によって本来傷であるはずのはさみ跡が見どころとなります。

表紙の黒茶盌-2008/10/19
表紙に用いた黒茶盌ですが、
半年ほど前に焼き上げたもので、
私自身はなかなか気に入っているものです。
焼き物の釉薬は基本的にガラス質のものなので、
ほとんどのものが光沢があります。
千利休が求めた侘びの心に叶うものは
初期の楽茶盌にみられる
カセ肌の黒茶盌に象徴されるように
決して宝石のような美しさではありません。
つやのない、カセ肌の肌の黒茶盌が、
使いこなされる頃によって茶渋が入り、
さらに深みを増してくる、
これが茶盌が育つということであり、
例えて言えば真新しい灯篭が
年月を経て苔むしてくるのと同じ美しさだと思います。
苔むした灯篭、古色のついた庭石に美を感じるのは
そういう自然環境に包まれた日本人の感性だと思います。
今現在は日本人だけに限らず、
西欧の人々も茶道の心を深く理解する方が多く、
非常にすばらしいことと思います。
私自身の作品が持っていただいた方によって育つ茶盌かどうかは分かりませんが
そうであればうれしいことであります。

はじめまして-2008/10/17
はじめまして、
この度ホームページを立ち上げることになりました。
私自身の作品を見ていただく機会になれば幸いです。
それに加えて、「陶芸徒然」と題し、陶芸の事やら、
陶芸とはあまり関係のない家庭菜園や
山の花・野の草のことなど、
思いついたこと、感じたことをしたためたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
私の陶芸の道は
昭和49年弟子入りというかたちで始まりました。
ロクロを用いず一点づつ手捏ねで造り上げ、
炭を用いた窯で、一点づつ焼き上げる楽茶盌が
その入り口でした。
このような技法は他に例を見ないものであります。
昭和63年に独立して自分の窯を持ってからは、
伊賀・粉引き・灰釉・志野など、
茶陶を中心に製作しています。
ほんの一部ですがその写真を掲載しました。
ご覧いただきたく存じます。

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陶芸家澤田博之公式サイト